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助六所縁江戸櫻(すけろく ゆかりの えどざくら)

上演:文化8年 (1811)、市村座
助六:七代目市川團十郎
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:このとき初めて舞台一面から花道にかけて桜の造花が飾られ、芝居小屋そのものを吉原に見立てるという体裁が完成。外題に「助六」が入るのもここからで、現行の『助六』はすべてこの版を原型としたものとなっている。
『宿花女雛形』(やよいのはな おんな ひながた)

上演:文政2年 (1819)、中村座
助六:三代目尾上菊五郎
詞章:半太夫節(江戸半太夫)
備考:このときの半太夫節の曲名が「曲輪菊」(くるわの ももよぐさ)だった。
『宿花千人禿』(やよいのはな せんにんかむろ)

上演:文政2年 (1819)、玉川座
助六:七代目市川團十郎
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:市村座以外で河東節「所縁江戸櫻」が使われた初例。河東節はもう市村羽左衛門の占有物ではなく、市川團十郎の専売特許だということを見せつけた。
『助六櫻二重帯』(すけろく さくらの ふたえおび)

上演:文政5年 (1822)、河原崎座
助六:五代目松本幸四郎
詞章:半太夫節(江戸半太夫)。
『助六所縁江戸櫻』(すけろく ゆかりの えどざくら)
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上演:天保3年 (1832)、市村座
助六:七代目市川團十郎改メ五代目市川海老蔵
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:七代目の倅・八代目市川團十郎の襲名披露興行で、八代目は外郎売で登場。この興行の際、はじめて「歌舞妓狂言組十八番之内」の表現が使われる。後の「歌舞伎十八番」である。
『助六所縁江戸櫻』(すけろく ゆかりの えどざくら)

上演:安政4年 (1857)、角の芝居
助六:幡谷重蔵(七代目團十郎)
詞章:長唄
備考:天保の改革のあおりで江戸所払いになった七代目が「幡谷重蔵」(はたや しげぞう)の名で大坂・角の芝居の舞台にたって演じたもの。市川宗家の助六で長唄を使ったた珍しい例。
『黒手組曲輪達引』(くろてぐみ くるわの たてひき)

上演:安政5年 (1858)、市村座
助六:四代目市川小團次
備考:小團次と提携して二代目河竹新七(黙阿弥)が書いた一群の作品のひとつ『江戸櫻清水清玄』(えどざくら きよみず せいげん)の二番目・世話場面で、いわば「我流の助六」。小團次は常々『助六』をやりたいと思っていたが、小柄な自分では偉丈夫な助六がさまにならない。そんな愚痴を聞いた黙阿弥は、鮮やかな衣装、派手な隈取、艶やかな舞台、粋なセリフ、そして派手な喧嘩などといった『助六』の随を凝縮するかたちでこれを『黒手組の助六』に書き換える。また原版が全一幕で上演時間が3時間という冗長な演目だったのに対し、新作は全三幕で上演時間は原版の約半分という簡潔なものにまとめ、江戸歌舞伎の見本のような作品に仕上げた。
『助六所縁八重櫻』(すけろく ゆかりの やえざくら)

上演:明治6年 (1873)、市村座
助六:河原崎三升(九代目團十郎)
詞章:河東節(十寸見河東)
備考:九代目は明治6年から7年にかけて、養家の河原崎家から生家の堀越家に戻る際、ひとつの過渡期として「河原崎三升」(かわらざき さんしょう)という名跡を10ヵ月間だけ名乗っていた。そこに歌舞伎十八番の代表格である『助六』をぶつけたのは、この直後に襲名することになっていた「九代目市川團十郎」に対する彼の意気込みの現れとみることができる。なお「江戸櫻」を「八重櫻」に替えたのは、遷都後日も浅い東京に腰を据えた新政府をはばかって「江戸」の二字を避けたもの。

今日の助六 [編集]
ある演目に、本来つけられた外題のほかにも、複数の通称がついていることは珍しくない。たとえば、本外題が『寿曽我対面』という演目を、通常われわれは『吉例寿曽我』、『曽我の対面』、あるいは『対面』などといった通称で呼んでいる。しかし本外題がいくつもあって、それらが共通の通称で束ねられているという例は、この『助六』をおいて他にはない。

「『助六』を『助六所縁江戸櫻』という外題で上演するのは成田屋だけ」というのはよく知られた歌舞伎の蘊蓄だが、これをもうすこし厳密にいうと「『助六』を『助六所縁江戸櫻』という外題で上演するのは、市川團十郎または市川海老蔵が助六を勤める興行においてのみ」ということになる。

「所縁江戸櫻」というのは、そもそもは河東節による「出端の唄」の曲名で、この河東節を七代目團十郎(五代目海老蔵)が市川宗家の専売特許扱いにしてしまったため、他家が『助六』を上演するときは成田屋に遠慮して、この「出端の唄」を長唄・常磐津・清元などに書き替えたもので行う。そのため曲名に準じて外題も変わるのである。

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2009年06月17日 06:50に投稿されたエントリーのページです。

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